ディスラプションと私
私は以前、仕事とそれ以外の境界線が曖昧であることを、むしろ誇らしく思っていたところがあり、私にとって「邪魔」なものなど何もありませんでした。仕事と遊びとか、集中とリラックスとかそういう線引き、あるいはポモドーロのような生産性向上メソッドが、すべて野暮ったく見えていました。
さいきん「邪魔」を感じる
ところが、さいきん「邪魔」を感じます。いわゆるディスラプションです。環境が大きく変わったわけでもないですし、新しい趣味を見つけたわけでもありません。加齢による集中力の低下——それは確かにあるかもしれませんが、それほどではないつもりです。
そして、野暮ったいと思っていたメソッドに感心したりしているわけです。ついには、この私がセルフマネジメントの必要性を説明していたり。
守るべきものの変化
明らかに、かつての私は、独りよがりを熱意とかプロフェッショナリズムと美化していたでしょう。仕事のモジュール化がよくできていたのかもしれません。いいえ、実際のところ「自分が頑張ればなんとかなる仕事」を好んで引き受けていただけなのでしょう。
自分以外が邪魔されるようになった。これはたしかに思い当たることで、ディスラプションを感じる時に、チームのワークフローへの悪影響を最初に考えているかもしれません。集中力不足の結果も、手戻りとして私よりチームに返ってくるようになりました。
臆病になるという別の問題
立場が変わったので、考え方も変わりました。でも、それもまた野暮ったいなと思うのです。今度は妥協をプロフェッショナリズムとして美化し始めたのではないだろうか。ノイズを含めて自分が自分だったころのほうがカッコよかったし、人に優しかったような気がします。
臆病になって、邪魔が怖くなっているだけなのかもしれませんね。ディスラプション上等、で仕事していきたいと思います。もちろん最高の生産性を目指しながら。
とりとめのない話でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。