後付け仕様書のような
2026-04-27
確かに時系列としては、先に指示を出しています。そして AI を動かしています。しかしながら――その指示は、成果物にどれだけの影響を与えたのでしょうか。AI 活用まわりの話を聞いていると、それが後付けの仕様書のように感じられる時があります。
本当に指示しているのか
AI は自然言語のインターフェースを持っています。だから「指示して書かせている」「主導権はこちらにある」という感覚を、私たちは自然に抱きます。けれども実際には、あってもなくても結果は変わらない、そんな指示出しを多く重ねていないでしょうか。
- 時が来れば解決する問題でも、とにかく先に指摘しておきたい人
組織のなかにはそういう人がいて、あまり好かれないのが普通です。しかし、自分が近頃その種類の人物に近づいているように思うのです。得意げな披露の痕跡(ログ)を残しつつ。
プロセスより成果物
仕事を失うという恐怖は、確かにあります。それにも増して「所有権の喪失」の感覚が強いのではないか、と私は考えています。自分が作ったと言える部分が、どんどん狭くなっていく。その反動として、人間の組織のなかであれば嫌われてきたであろうプロセスを、わざわざ踏みに行っているのではないでしょうか。
しかも、そのプロセスは AI に向けたものというより、後から自分や周囲に説明するための証跡として積み上げられているように見えるのです。納品物としてのドキュメントを後から創作する、そんなズルをしている感覚です。
何を作りたかったのか
何を作りたいんだっけ。いま、人間どうしで、これを何度も何時間も議論したいなと思います。プロセスばかり、深い意味のない自然言語ばかりが増えていき、仕事の目的が覆い隠されている。最近、私はそう感じています。
- AI への指示には、結果に効いているものと、あってもなくても変わらないものが混在している
- 「主導権を握っている」という感覚には、自然言語インターフェースが生む錯覚が含まれている
- 過剰なプロセスの裏には、仕事の所有権を失う不安がある
- 「何を作りたいのか」を、人間どうしで時間をかけて話したい
最後までお読みいただきありがとうございました。