性格とポジション
性格とポジションの相性より、立ち回りスキルが優先される問題。
性格とポジションの問題
ソフトウェアエンジニア職における「人の性格」と「ポジション」との相性について、今まで話題に上ることが少なかったように思います。「Builder vs Maintainer」のように英語で検索すると、性格分析とプロダクトのフェーズあるいはポジションとをマッピングする考察がそこそこ見つかるのですが、日本語だとあまり見つかりません。
うまく立ち回るのがプロ、という雰囲気が一般的にあって、この相性の話が重要とみなされなかったのかもしれません。また、もしかしたら、わがままとか、性格診断的なラベル付けと思われていたかもしれません。
しかしながら、私の経験からは、この話は個人にも組織にも有意義なところがあると思われましたので、ここで考察を一度言語化しておきたいと思います。
私自身が感じたミスマッチ
こちらは、エンジニアの性格と、活躍しやすいプロダクトのフェーズ、そこで求められるポジションへの期待値を整理したものです。よく見られる分類ですが、感覚的に分かりやすくなるよう私の観察に基づくコメントを付けました。
- ビルダー (0 → 1) 突破力、作る・作らないから始める、スピード
- スケーラー (1 → N) 共感力、ニーズを汲み取る、効率・スループット
- メンテナー (N → N+) フラットな視点、バランスを取る、リスクマインドセット
私はビルダー型のエンジニアです。0 → 1フェーズでは突破力を発揮しながら、後半のフェーズで自分のやり方が急に「ノイズ」として扱われる感覚を何度も経験しています。そのたびに、「もっとうまく立ち回るべきだ」と自分を責めがちでしたが、それは必ずしも正しくなかった──そこには、構造的なミスマッチが存在していたように思います。
自然にマッチするという論理
多くの場合で、ミスマッチが認識されていないわけではなく、話題にならなかったというのが事実だと思います。そこには、日本型雇用慣行が一つの背景としてあるように思います。
会社の中でジョブローテーションを繰り返すうちに、「自然と」自分に合う仕事が見つかっていく──終身雇用・定期昇給がまだ存在した時代の幸せなストーリーに、個人も組織もいまだ依存しているように思われます。そのストーリーによれば、時間をかけて適切な場所に収まるのだから、性格とポジションとの相性をあえて論じる必要がありません。
2026年、そのストーリーの長い時間軸に保証は一切存在しないのですが、組織はいまだ忠誠心ベースのマネジメントを行いがちですし、個人は従順さを規範としがちです。そうなると、社会全体の雰囲気として、主体的にポジションを選ぶ個人への忌避感のようなものが生まれてきます。転職回数へのペナルティもその忌避感の表れの一種だと言えるでしょう。
相性以前に、まず信頼関係の構築に時間が必要なのだ──そう言われることもあります。しかし実際には、終身雇用・定期昇給という保証に甘え、コスト意識なく時間を費やしてきた面もあったのではないでしょうか。組織と個人のあいだに共通の目的と協力関係があってこそ、真の信頼関係は築かれるのだと思います。単に時間をかければ解決するわけではありません。
優秀な人のステレオタイプ
さらに、こうした日本型の雇用慣行の中では、どこにでもマッチする「優秀な人」というステレオタイプができあがってしまいます。
シニアエンジニアへの期待値は、「うまく立ち回れること」に尽きます。技術にも詳しく、ビジネスも分かり、メンバー育成もできて、社内調整も上手い、万能型のゼネラリスト──これが採用や評価の場面で語られる「優秀な人」のイメージであり、これにほとんどの人が違和感を抱かないでしょう。
ところで、この「優秀な人」はどれだけ価値創出に貢献できるのでしょう。ゼネラリストの貢献は、いわば「社会常識的なストーリーとの整合性」によって評価されがちで、プロダクトや組織特有の「成功に貢献したかどうか」という評価は後回しになります。
そのような立ち回り重視の評価は、言葉に反して「優秀な人」のハードルを下げているだけです。あわせて、プロダクトの競争力を削ぐ結果になっているかもしれません。
ポジションの貴賤
さらに厄介なのは、この構造の中でポジションに対する「貴賤」の意識が生まれてしまうことです。
「上流工程」「マネジメント」「戦略」といった言葉には、どこか「上級職種」の匂いがまとわりつきます。そして、それらとは逆に「下働き」感のある役割もあります。実態としてどの仕事も事業に不可欠であっても、年功ベースの発言力に補強されて、その区分が「貴賤」のランク付けとして意識に刷り込まれていきます。
こうした環境でキャリアを考えるとき、私たちは自身の性格とポジションの相性よりも、そのポジションが社会的・会社的に「格上」かどうかを優先しやすくなります。貴賤意識や見栄を優先するとともに、先の「優秀な人」のイメージを追い続けることになるのです。
そして、結果としてパフォーマンスが発揮できなかったとき、構造的なミスマッチではなく「自分の(立ち回りの)スキル不足」に問題を還元してしまいます。これは個人にとって非常に不幸なことです。
イノベーションは運次第
組織側から考えてみても、「個人の立ち回りに依存」する採用や配置は、あまり投資効率のよいものではないでしょう。一様なストーリーと「優秀な人」のイメージに頼ってギャンブル的に人を雇っている、そんな現実があるように思います。
ギャンブル的だというのは、結局こうして形成された集団においては、イノベーションが「偶然」に起こることを待つしかないからです。待ったところで起きないかもしれません。戦略として、とても非効率的だと思えます。
事業フェーズの問題
ジェフリー・ムーアの『キャズム』などのビジネス書でも触れられている通り、事業フェーズごとに必要な人材の種類が変わってくるのは既知の事実です。しかし、転職ペナルティのような慣習によって人材の移動が妨げられるため、社外にポジションを求めることは活発にはなりません。これが、ますます「立ち回り依存」を深めてしまう別の理由です。
ただ、社会的な慣習によって、良くも悪くも人材流出の可能性が抑え込まれているにしても、その人が最適な環境において本来発揮するはずの価値を組織は取り込みに行くべきです。そうすれば、イノベーションの継続的な創出と、既存事業の持続性との両面においてメリットが得られるものと思います。
再び、性格とポジションの問題
性格とポジションとの相性の問題について、やはり真剣に考える必要があると思います。
個人としては、「優秀な人のイメージ」や「格上ポジション」を流れや見栄で目指すようなことはやめ、自分がいちばん尖れる領域、心から生き生きと働ける場所を社内でも社外でも探し続けるべきです。
組織としては、日本特有の事情も考慮しつつ、多面的・複眼的なマネジメントを導入し、キャリアのマルチトラックを整備することが不可欠です。それがチームの成長戦略になります。
おわりに
自身の能力を生かし、出力を最大化することこそが、プロフェッショナルとしての責任です。見え方の整合性をどうとるかという立ち回りよりも、本質的な成果を追求すべきです。
一方で、組織もまた、個人の尖った能力を集めながら、それを適材適所で活かせないのだとすれば、それは明確にマネジメントの不備です。画一的な人材像の想定は、組織やプロダクトの適応力を弱める結果につながり、変化の速い市場で競争力の低下を招くリスクがあると考えます。
なお、現実には、性格診断の結果だけで配属や役割を単純に決められるわけではありません。私なら、ビルダーとしてプロダクトを立ち上げ、アーキテクトとして開発チームに関わり続ける、そういう働き方をします。個人も組織も複雑であり、その組み合わせもまた単純ではありません。私たちは常に複雑な問いに向き合う必要があるのです。