システム化された怠惰
組織を支えるシステム(制度やルール)も、コンピューターシステム同様にメンテナンスが必要です。
システムアップデートへの抵抗
制度やルールの見直しが話題になると、それがあたかも「何かへの攻撃」であるかのような前提で議論が始まることがありますが、最初にそれらがそもそも何を守るためのものだったかを思い出す必要があります。そして、攻撃という印象(バイアス)を排したうえで、その制度やルールがいまでも正しく働いているのかを検証し、その結果を客観的事実として参加者全員が受け入れる必要があります。そうすれば、環境変化に応じてシステムをアップデートする、というシンプルなモチベーションで議論を続けることができるでしょう。
システム化された怠惰
とはいえ、やはりバイアスは強固であり、過剰反応が起きがちです。共通の目的をどう達成するかという話であるはずなのに、感情的な拒絶により議論が途絶えることが多々あります。その理由は、システムが「自分を守る仕組み」に変質しやすいからです。例えば、「他者への思いやりを装った自分の甘やかし」「何もしないで済ますための慎重さ」のような特徴が、自身のうちにも組織のうちにも観察されるでしょう。システムはいつしか利己的な目的に適うよう改変され、怠惰すらそこに埋め込まれていくのです。
利己主義に振り回されている
働き方の問題を考えてみてください。各々にとって長時間労働が安易な勝ち筋なのであればそれが当然に助長されますし、何にもコミットしないほうが安全なのであればその勝ち筋を制度的に補強するための何かが求められます。全体にとっての利益が議論されているようでいて、じつは、システムの評価はいつも利己主義に振り回されているのです。利己主義の調整を試みる議論が建設的になるはずがなく、そこから本当に何か・誰かを守れるような仕組みが生まれるとは思えません。
シンプルに問いかける
組織を支えるシステムは、思想や原理原則とは異なり、より具体的で現実的なレベルのものです。運用している間に短期的な思惑が次々と追加されてしまう、これは避けられません。本来の目的に適うよう動作させ続けるためには、コンピューターシステムと同様に、継続的なメンテナンスが必要です。その過程では、それらの思惑から自由になるために、例えば「誰を幸せにするのか」のようなシンプルな問いかけこそ大事です。そうしてようやくシステムのアップデートを進めることができます。