言った言わない

ひとたび合意できたなら、言った言わないなど大昔の話。

言った・言わない

なぜ言った・言わないでもめてしまうのでしょうか。なぜそんな過去にこだわるのでしょう。

なにか合意があって物事を先に進めた結果、現在があるのでは?

なぜ、言った・言わないのような「大昔」のことに関心が向くのでしょう。

なぜ、言った・言わないで揉めるのか?

きっとそれは、合意を作る努力をしなかったからです。

合意を作るために大きな投資をしなかったから、それを大事にしようという気持ちにならないのでしょう。

それともう1つ、失敗を責める文化と、失敗を引き受ける勇気の無さです。

いつまでも揉めていたい

それらは、人々にいつまでも判断を留保したいと思わせます。

だから、言った・言わないは、ケンカのような個人間の出来事ではありません。

それは集団に現れる出来事で、臆病な集団の病気、のように例えることができるでしょう。